「哼哼!快活死了!親肉……心肝……我不知道了。」
「適意吧!癢嗎?」
「適意極了!好哥哥!你再重些…我不要命了,射死我了」

「あ、あ、気持ちいい!おめぇさん、あんた、好きにして。」
「よいだろう!こそばゆいか?」
「いいわ!あなた!もっと強く、死んじゃってもいい、射ころしてぇ!」

 不知讀者看這開場白的反應是否為驚嚇?
抑或因為它的用詞相當古老所以笑了出來?
我想應該大部分的人都屬後者吧,
這個色情狂熱的對話是一個民初時期的大學生
側耳偷聽一對夫妻的枕邊細語時聽到的。

 冒頭の会話を見てあなたは驚いたでしょうか?
それとも言葉が古すぎて笑ってしまった?
ほとんどの人は後者でしょう。
この煽情的で熱っぽい会話は民国初期のある大学生が、
近所の夫婦の寝室に聞き耳を立てて聞いた睦言です。

墻有茨,不可埽也。中冓之言,不可道也。所可道也,言之醜也。
墻有茨,不可襄也。中冓之言,不可詳也。所可詳也,言之長也。
墻有茨,不可束也。中冓之言,不可讀也。所可讀也,言之辱也。

牆に茨あり、掃うべからず。中冓の言は、語るべからず。語れば、言うは醜し。
牆に茨あり、除くべからず。中冓の言は、細に入るべからず。細に入れば、言うは長し。
牆に茨あり、束ぬべからず。中冓の言は、読むべからず。読めば、言うは辱し。

 這是「詩經」裡的一首詩「墻有茨」,
在此所謂的中冓之言,指的是閨房言語,
可見詩經編輯的當時性愛是無法公開討論的,
距詩經隔兩千五百年的現代又是如何呢?

 これは詩経の中の一篇「牆に茨あり」です。
ここで使われている中冓の言とは寝室での男女の睦言を指します。
詩経が編まれた当時でも性は公に語れなかったことがわかります。
詩経から2500年経った現代では、さてどうでしょう?

 八十年前的中國,有個北大教授張競生,
始終抗拒著這種束縛人的觀念。他在「性史」裡面寫道:

在此書中無論所寫的為正態或變態,只要它是實在,它便具有科學的價值。它與淫書不同處:淫書是以作者個人虛構的情狀,專門挑動讀者的獸慾為宗旨;這書乃以科學的方法,從種種實在的方面描寫,以備供給讀者研究的材料。

 八十年前の中国に、北京大学の教授で張競生という人がいました。
人を束縛する観念と抗い続けていた彼は、著作「性史」の中で、こう書いています。

この本に書いてあることは、正しい姿であろうが変態であろうが、それが実在することであるかぎり、科学的な価値がある。この本が淫書と一線を画す処は、淫書が作者個人の妄想的なシチュエーションに基づき、読者の獣欲を掻きたてることを旨としているのに対し、この本は科学的な方法に基づき、あらゆる実在の方面からの描写を、読者の研究材料とするべく提供していることである。

 「性史」這本書裡收錄的是民初時期之大學生的性經驗和性觀念,
我看完這本書後的第一個感想是:
人類對於性愛的興趣與思念實在是今昔一轍。

 「性史」に収められているのは、民国初期の大学生の性経験や性観念です。
この本を読み終わって真っ先に浮かんだ感想は、
人の性愛に対する興味や想いは今も昔も同じだということ。

今夜我實在不能忍耐了,誰能忍耐呢?
到了夜深無人的時候,在同一房中,距你睡下的地方僅三尺遠的床上,
躺的是一個杏臉桃腮的美人,你的理智能克制情感麼?
你的戴假面具的禮教觀念,能阻止你肉欲的發生麼?
不!尤其是十六歲的中學生啊!

今夜はもう我慢できない。我慢できる人がいるのだろうか?
真夜中の密室で、自分の寝てる処から三尺と離れていないベッドの上に寝ているのは、
雪のように白い顔(かんばせ)、桃のようなほっぺの美人。理性は感情を抑えることができるか?
仮面をつけた礼節観念は、果たして肉欲に抗い得るか?
否!ましてや十六歳の中学生には!

 就讀於成都中學的一個少年寄宿於他老兄的朋友家,
他老兄的朋友的太太是年輕貌美的女子,於是他心裡頭偷偷愛上了她。

 成都中学で学ぶ一人の少年は兄の友達の家に寄宿している。
兄の友達には年若く美しい奥さんがいた。少年はひそかに恋心を抱く。

不過我的內心無論如何如火般的燃著,然而我終於不敢有過於唐突的舉動,我至多無非是呻吟而已。我的呻吟,正和小孩要奶吃的叫聲是相同的。果然她慈悲了,她說:
「平弟,你怎麼了?」
「沒有什麼。」
「爲什麼老不睡覺呢?」
「因為我肚子痛。」

 「肚子痛」三個字是被禮教壓迫出來的,其實這時我想說的是:「想同妳睡。」但是我敢麼?她立時起床來服待我,我也故意地起來。經過了長時間的如「喝開水……」等的人工治療後,我和她都實在有些疲倦了,我於是假作不知地走去坐在她的床沿上,她也同我坐下來了。作了不到五分鐘,我故意忘了她的床一下躺下去了,在半醒狀態中,我聽見她的嬌聲說:
「平弟你要睡嗎?睡得順一點!」

しかし胸の内がいかに炎のように燃え上がろうとも、出すぎた行為をする勇気が僕には畢竟なく、せいぜい呻きたてるだけ。僕のうめき声は、まるで母乳を求める赤子の声と同じだ。案の定、僕をあわれに思った彼女はこう言った。
「平君、どうしたの?」
「なんでもない」
「どうして寝ないの?」
「おなかが痛いから」

 「おなかが痛い」とは礼節観念に圧されて出た言葉。本当は「一緒に寝たい」って言いたかった。でも、あの状況で言えただろうか?彼女はすぐに起きて僕のそばに来る。僕もわざと起き上がった。「水を飲んで……」等の長い長い手当ての後に、二人ともすっかり疲れてしまった。そこで僕は知らないふりして彼女のベッド縁に座った。彼女も僕のそばに座る。五分も経たないうち、わざと忘れたふりをしてそのまま彼女のベッドに寝てしまった。夢うつつな状態で、聞いた彼女のやさしい声。「平君、寝るならちゃんと横になって!」

 自此以後,他們兩人每夜必同床,自然他倆的戀情頓時燃燒起來。
有一天晚上,她坐在床上跟他說:

「我今晚不同你睡了,除非你很乖地叫我一聲。」
「乖乖,來睡吧!好不好?」
「不好,叫我的名字。」
「二嫂,來睡吧!」
「還是不好。」
「……瓊華姐姐……」
「哎呀,平弟,乖乖……」她緊緊抱了我一下,然後脫衣上床睡了。

 以後、二人は夜毎同衾することになる。恋心は俄然燃え上がる。
ある夜彼女はベッドの上に座り彼に言った。

「今夜は一緒に寝ない。あたしを呼んでくれなきゃ」
「いい子だから一緒に寝よう。これでいい?」
「だめ、あたしの名前を呼んで」
「お姉さん、寝ようよ」
「やっぱりだめ」
「……瓊華お姉さん……」
「あぁ、平君、いい子いい子……」彼女は僕を抱きしめて、そして服を脱いだ。

 愛情的開始,多麼地美麗啊!
他倆已經達到性與愛合而為一的境界。

 愛の始まりは、何と美しいのだろう!
二人はすでに性と愛が一つになった世界にいる。

 寫到這裡,我想到我剛看完的另一本書,
書名為「セックスボランティア」,翻成中文是「性愛義工」,
這本書描寫的是殘障人士的愛與性以及針對殘障人士的性協助,
我之所以想起這本書,是因為書裡有一句話說:
「根本沒必要區別愛與性慾」。

下一篇會介紹「性愛義工」這本書,敬請期待!

 ここまで書いて思い出したのはたった今読み終わったもう一冊の本。
書名は「セックスボランティア」、中国語に訳すなら「性愛義工」で、
障害者の愛と性や障害者に対する性の介助を紹介している。
なぜこの本を思い出したかというと、書中のこの一言が原因だ。
「愛と性欲を分ける必要なんてない。」

次回はこの「セックスボランティア」を紹介します。乞うご期待!
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